アシリカル1-2

 

 アシリカル、旅に出る

 

 アシリカルはその日の晩、夕飯の片づけが済むと、二階にある自分の部屋で旅に出る支度をした。旅といっても、次の満月までの二十日間の短い旅である。そしてアシリカルの十五歳の誕生日でもある。
 アシリカルは旅に使う道具として、普段着と同じ縁と布地が同じ色の頭巾付き外套と数枚の下着、無地の帳面、筆と墨はいつ失くすかわからないため、旅先で木の実を絞って墨にして木の枝を削って使い捨ての墨を作ることにした。無地の帳面には旅の記録を書くのだ。それから櫛と顔をふく手拭い、着替えを一枚、荷物を入れる肩ひも付きの布袋に入れ、太刀(マキリ)を帯に差して持ち歩くことにした。
 寝床に入った時、アシリカルはあまり寝入る事が出来なかった。旅に出るなんて初めてで楽しみでたまらなかったのだ。しかしアシリカルは自室では眠れず、少し早いが家を出て、カントの所へ行って朝になったら出発という形で家を出ていった。荷物を背中に背負い、そして両親が寝ている居間の入り口に手紙を置いた。

『お父さんとお母さんへ
 何も言わないで出て行く事になってごめんなさい。わたしは長い間、世の中を見てみたいため、旅に出ます。もし旅に出るなんて言ったら、反対されるだろうと思ったので。
 二十日経ったら、戻ってくるから待っててください。

アシリカル』

 アシリカルは春といえど、夜は凍えるように寒いので外套を羽織り、魚皮靴(チェプケリ)を履くと、カントのいる森へとこっそり向かっていった。夜は銀色の花びらのような形の月が照らしてくれていたので、アシリカルは迷うことなくニセウ林にたどり着いた。
 カントが丸まって眠っていると、自分を呼ぶ声が聞こえたので目を開いた。
「カント」
 それはアシリカルだった。
「アシリカル? まだ夜は明けていないよ。何でここに?」
「うん。家にいたらかえって寝付けなくなっちゃってね……。今夜はここに居させて」
「うん、いいよ」
 アシリカルはカントにうずまって、彼の温かな羽毛に包まれ、一夜を過ごした。

 小鳥たちのさえずりと太陽が昇りだした頃、アシリカルは目を覚ました。
「おはよう、アシリカル」
「おはよう、カント」
 二人は顔を見合わせ、朝のあいさつを交わす。アシリカルは朝ご飯となる木の実を集め、カントは好物のマムシやカエルを探して捕まえては食べ、捕まえては食べていた。アシリカルはクルミやコケモモ、グミやアケビを集めて食べた。そして殻や種や皮は地面を掘ってそこに埋めた。アシリカル達カムイシレペツの住人は動物の骨や魚の骨や貝殻、木の実の皮や芯などの食べれないものはみな、大地の神にかえすために地面に埋めるという習慣があった。食べ物は神様(カムイ)からの授かりもので、残されたか皮や骨は大地神に渡すことで、埋めた骨や皮は大地から新たな恵みを育ませるという考えが受け継がれてきたからだ。
 アシリカルは食べかすを地に埋めると、カントの背中に乗った。カントの背中はふわふわしてて温かい。
「行くよ、アシリカル。しっかりつかまっててね」
「うん」
 カントは翼を羽ばたかせ、宙に浮いた。カントが羽ばたくことによって、森の草木が揺れる。そして――。
「とっ、飛んでる! 飛んでるよ! カント!」
 アシリカルはカントが飛び立つのを見て、声を張り上げた。カントは次第に上昇し、ついには森を飛び出したのだ。
「うわあ」
 アシリカルは空を飛んでいる時の景色を見て驚いた。森がどんどん遠ざかって、緑の点々となった。それだけでなく、川は青い線に、池はポチポチと青い不規則な円に見え、草原は黄緑色の敷布のように、草原の中の道は黄色い線に見える。カントが前進すると、アシリカルの村が見えた。家や倉や人間が箱庭のようである。様子からすると、畑仕事や洗濯などのお勤めの始まりのようだ。
「ちっちゃい、ちっちゃーい。あっ、畑が見える。あれはソバだ。ピパヤ(ヒエ)もメンクル(キビ)も。あの赤いのや黄色いのは……」
 赤い畑はレンゲの花畑で、黄色い畑は菜の花の花畑だった。数え切れないほど、今年の花畑は咲いたようである。空を見上げると、太陽は東の空に昇り、空は澄みきった青になり、白い雲がいくつも浮いている。風は南から吹いており、少し暖かみがある。アシリカルとカントはチュプカントコタンを抜けて、見知らぬ土地の上空にやって来た。山がいくつも見られ、森や畑やまた箱庭のような家や人間が見られた。途中、大きな湖を見かけ、湖畔の住民が川魚を獲っている光景も見られた。
 アシリカルは何度も光景を目にしたのち、緑の大地の端が白い線を塗られている事に気づいた。そこには家が何軒もたち、人々は小舟に乗って網を投げたり、ハまで獲った魚を板にかけて干しているのを見た。
(あれって、漁村ってやつかな? こんな風に暮らしていたんだ)
 アシリカルは時々、海へ出かけに行った人の話を耳にしたけど、あまり思い浮かべられなかった。今カントの背中の上で、漁村の暮らしぶりを目にした。漁村の他には塩を作る塩田の村や和人国近くの浜では、港町があった。浜から離れた船を出入りさせる大きな桟橋が造られている。その桟橋と浜の間に大倉(ポロチセ)が何十軒も建てられた町があった。
 カントは前進して、とうとう海に出たのだ。藍色の輝きに白い波が打ち、しょっぱい香りがアシリカルの鼻をくすぐった。沖の方に入ると、シャチの群れを見かけた。シャチは黒い体に白い模様が入った大きな魚のような獣である。
 カントは藍色の海上を西へ西へ進み、そのうちアシリカルとカントは真っ白な雲と風の中に入っていった。その中は純白のもやみたいなもので、どこが西でどこが東かわからない。そして、夜のようにひんやりする。
「カント、大丈夫? この中に入っちゃって……」
「うん。とにかく進んでみるよ」
 そう言った時、カントの体ががくん、と揺れた。
「きゃっ」
 飛んでいるうちにカントの体がだんだんだんだん下へといっているではないか。
「アシリカル、ごめん。ちょっと、どこかで休まないと……」
「えっ!! 何を言っているの? まだ空の上……」
「降りよう。あの川の所へ……」
「えっ、ちょっと、カント……」
 アシリカルが止めるのも聞かず、カントは雲の中を抜け出して、その下にある森林の中に流れる川へと向かって行った。森林は一面の緑で、縫うように青い川が流れている。
「カント、あんた子供といっても図体あるから、せめて人のいない所に降りてよ……」
 アシリカルはうろたえながらカントに言い、カントも人間が住んでなさそうな山の方角に降下していく。カントは山中の泉に着地し、ズシーンという音を立てながら、泉の縁に座りこんだのである。その音で、山の鳥たちや獣が騒ぎ出した。
「はあはあ、助かった~」
 カントが急に体を傾かせた時、アシリカルはびっくりして急降下して地面に叩きつけられるのではないかという恐怖にとらわれたが、何とか助かった。カントの背中から降りて、カントに訊いた。
「大丈夫?」
「うん。ぼく達フリィはずっと飛べる訳じゃないからね。飛べなくなったら、どこかの川や泉の清らかな水を飲んで力をつけなくちゃいけないんだ。ごめんね、言わなくて」
 アシリカルはそれを聞くと、胸をなでおろしにっこり笑った。
「それなら良かった。どっか患っているのか、林に落ちた時の傷がまだ癒えてないのかと思ったよ。あー、安心したぁ」
 それから景色を見回した。後ろには灰色の岩山、泉の周りには見た事もない草花の咲く水辺、その周辺がたくさんの木々、空は白くて空気は澄んでいるが冷たい。
「ここ、どこだろう」
 アシリカルは見慣れぬ土地の風景を見て、少し不安になる。
「カント、飛べるようになるまでどれ位かかる?」
 アシリカルが訊くと、カントは困ったように答える。
「ごめん、どれ位になるかは……」
「そっか……、でも」
 アシリカルは思い改める。
「ここ森の、山の中なんでしょう? そしたらわたしは森の中にできるキノコや木の実を採るから食べ物は平気だよ。あと、この岩山を目印にして、戻ってくるから」
「ん、気をつけてね」
 そうしてアシリカルはカントの元から離れ、探索に出かけていった。森の中は空を覆い尽くすように空が遮られており、木も高くてどのくらいの高さが天辺なのかわからない。枝は長くて太く、木登りにはふさわしいが、何の木かはアシリカルは知らない。もしかしたらカムイシレペツにはない木かもしれない。木の幹はごつごつとした表面で、根っこも枝と同じく太く、無造作に地面からはみ出ていて、ぼんやりとしていたら、つまづきそう。地面は乾いていて、緑の木の葉が散り散りに散らばっていた。アシリカルが葉っぱを踏むたび、ガサガサと鳴る。
 アシリカルはこの深い森の中で食べられそうな木の実や果実、キノコを探した。森の中ではセキレイや山鳩、キツツキなどの鳥、野兎やキツネやリスを見かけた。リスはカムイシレペツに棲むリスとは違い、耳が小さくて背中に五本のしま模様がある。カムイシレペツのリスは耳がとがっていて尻尾がふさふさしていて濃い褐色の毛色である。リスや兎はアシリカルを見ると警戒して逃げた。リスがいた木には堅い殻に包まれた茶色い木の実、クルミが見つかった。
「ああ、見つかった、見つかった」
 アシリカルは落ちている胡桃を拾い、今日食べる分とこれから食べる分を集めた。その他にも野イチゴやハッツ(山ブドウ)や茶色くて切り株から生えた無数のキノコを見つけた。毒キノコではないらしい。毒キノコは赤や黄色や紫といった派手な色をしているからわかるが、一見おいしそうな白い毒キノコもあると知ったのは十歳になってからだった。
 山の幸は集められたが、持ち運びはどうしようかと考えていると、ざわざわという音を耳にしたアシリカルは音の方へと足を進めた。そこは川辺で清らかな流水がざわざわと音を立てて流れ、丸い石ころが川の周りを敷き詰め、川辺と森のs化藍目に何百本もののい草が生えていた。
「丁度いい」
 アシリカルはい草を摘み取って、それを編んで袋を作る事にした。アシリカルがせっせとい草の袋を編んでいると、向こうの川岸の川上から猿の群れが降りてきた。
「猿だ、珍しい」
 アシリカルは猿という生き物は知っていたけど、本物を見るのは初めてだった。
「あれ?」
 アシリカルは肉眼で見た猿と書物の猿の絵と違うのを知った。書物の猿は赤ら顔で茶色い毛で尻尾が短いのに対し、川上から来た猿は顔が青っぽい灰色で尻尾が長くて長い金色の毛に覆われていた。
(書物で見たのと違う。和人の国の猿とはかなり違う)
 それからリスもカムイシレペツと違う姿をしていたことも思い出した。
(棲んでいる場所によって、姿や形がこうずれるのかな? でも人間だって、和人とわたしのようなカムイシレペツの人間も考え方や暮らし方や食べ物も文化も違うんだ。人間が違うように、猿やリスや鳥も違うのか)
 アシリカルはそう感じた。向こうの川岸の猿たちはアシリカルには目をくれず、近くの木の実や草の実をかじっていたり、子供の猿はじゃれあっていたり、子猿が親猿の毛づくろいをしていたりと行動をとっていた。
(かわいいなー)
 アシリカルが金色の猿たちの様子を微笑ましく見ていると、猿たちのいる川岸の茂みからガサガサと音がして、そこから大きな四つ足の獣が出てきた。長い尾に尖った耳とピンと張ったヒゲ、鋭い目に四肢には爪、毛は山吹色で黒い縞が魚の骨のようになっている。
「虎だ!!」
 アシリカルは叫んだ。アシリカルの国には虎なんていないが、言い伝えで知っていた。熊や狼とは一味もふた味も違った姿と獰猛さにアシリカルは目を見張り、猿たちは虎を見て走り出して逃げた。しかし、子猿が一匹逃げ遅れて、虎が近づいて来るのを見たアシリカルは子猿を助けようと走り出した。
 カムイシレペツの人間は弱い生き物が強い生き物に喰われるという自然の摂理を考えている種族で、本来なら大自然の掟に逆らわない。だがアシリカルには虎が魔物に見えて、手を出してしまったのだった。アシリカルは川に入り、猿を助けに行った。川は少し早い流れで足首までの深さだったが、流れがアシリカルを邪魔するように流れる。虎の爪が子猿に振りかかろうとした時、アシリカルは何とか向こう岸にたどり着いて、虎の爪の先を太刀(マキリ)で切ったのである。
 虎は驚いて呻るが、アシリカルは反撃をせず、にらみつけている。
(狼や熊といった獰猛な動物に遭遇したら、むやみに手出ししたりすると
襲われる。こんな時は……)
 アシリカルは父と狩りに行く時から教わった方法で虎とにらみ合った。しばらくは両者とも動かず見つめあったままだったが、虎はついに怖じ気ついて引き下がったのであった。
「助かった……」
 アシリカルはその場で座り込み、虎に襲われなかったことに感謝した。アシリカルに助けられた子猿は群れにいる両親の所へ跳ねていき、母猿に抱き締められた。金色の猿たちはアシリカルに優しい目を向ける。「ありがとう」と言うように。
 そして群れの長である猿がついて来いというようにアシリカルを森の中に案内させた。
「んー、何々?」
 猿はアシリカルを一本の木の前に連れていき、その木は丸くて薄桃色の実をいくつもつけていた。猿が登って一つもいでアシリカルに差しだした。
「くれるの?」
 アシリカルは猿から実を受け取ると、皮を手でむいて中の白い果肉をかじってみた。
「わあ、甘くてみずみずしい」
 アシリカルはその実をぺろりと平らげた。猿は仲間を虎から助けてくれたお礼として、この木の実をくれたのだった。そしてアシリカルにもう三つの実を渡してくれたのだ。
「ああ、ありがとう。お猿さん達。わたしに珍しい果物をくれて。わたしはそろそろ行かなくちゃ。虎さんにもう襲われないようにね」
 アシリカルは猿たちの元から帰り、元来た道を歩いていった。もらった実を先ほど作ったい草の袋に入れて山道を歩き、カントがいる岩山へと登っていった。山道を歩いて行くうちに空にうっすらと太陽が輝き、その周辺の雲が臼井桃色になっていた。着いた時よりも暖かくなっている。
 アシリカルはカントが待っている岩山のふもとの泉についた。カントは立っていた。
「カント、ただいま」
「お帰り、アシリカル。どうだった? 食べ物は見つかったかい?」
 アシリカルはい草の袋からクルミや木イチゴ、キノコや猿たちからもらった木の実を見せた。
「桃を見つけたんだ。カムイシレペツ育ちの君には珍しい果物だね」
「へえ、これ桃っていうんだ。初めて知った」
 カントは大きく伸びをして翼を羽ばたかせると、アシリカルに言った。
「もうぼくは泉の水を飲んだから大丈夫だよ。いつでも飛べるよ」
「うん。じゃあ今度があの岩山の向こうを超えて、どんな場所か見てみたい」
「わかった。じゃあ、出発だ」
 アシリカルはカントの背中に乗り、カントは翼を羽ばたかせて、岩山の泉から飛び立った。岩山と森はだんだんと遠ざかり、森は苔のようになり、岩山は茶色や灰色の分け目になり、川は青い糸のようになっていった。
 アシリカルとカントは北の方角へと進み、冷たい北風に吹かれながら、次の旅へと進んでいった。