アシリカル1-3

 

 はぐれたふたり

金毛猿のいる山から飛び立って半日以上が過ぎた。カントは墨のような夜空を飛んでおり、冷たい粉雪が向こうから飛んできて、アシリカルはこの雪のつぶてを受けながら、カントの背中で丸くうずくまっていた。
「……大丈夫?」
 カントが優しく凍えているアシリカルに訊いた。アシリカルは両手でカントの羽毛をつかみながら、「うん」と凍える声で言った。
「そ、そういうカントは夜を飛んでいて平気? フ、フクロウじゃ、あるまいし」
「大丈夫だよ。ぼく達フリィは昼でも夜でも飛べる目だから。それより下は見事に雲で埋め尽くされていて、大地が見えないよ」
 カントの下はかき集めた綿のように分厚い雲で覆われていて、下の景色が見えない。この真下が人里なのか森なのか草原なのか海の上なのかすらも。陸の上なら降りて、山の洞穴や森の中でアシリカルを包んで温めてやれるが海の上なら足場がない。
 アシリカルを何とかしてやりたいとカントがそう考えながら飛び続けているうちに正面の先の雲が途切れているのを見つけた。カントは元気づけられたようにぜんそく前進し、ついに雪嵐と雲の海から脱出できた。
 カントが地上を降ろしてみると、川で南北が区切られた村と針のようにとがった木々が生い繁る森林だった。そして村はアシリカルの村の建物とは違い、細い丸太をつなぎ合わせ、茶色い四角の積み石と白い漆喰が塗られた家だった。屋根や庭や畑の雪が少し溶けていた。
「アシリカル、見て! 村が、村が見えたよ! ぼくは村に泊めてもらうのは無理だけど、君だけでも泊めてもらって……」
「村?」
 アシリカルは下の景色を見ようとしたが、寒さと疲れで睡魔に襲われて、いしきがもうろうになり、そのまま寝込んでしまった。

「う……ん……」
 アシリカルが目を覚ますと、蒲団が敷かれた台の上に寝かされているのを見て驚いた。
「ここはどこ?」
 知らない家の中である。木の板と漆喰でできた壁、茶色い床板、パチパチと日が爆ぜる石と粘土を固めて作った四角い壁。簡素な台とその背もたれがついた四脚の椅子。
窓は縦長の木の板戸のもので隙間から木漏れ日が床やアシリカルのいる布団の上を照らしていた。アシリカルの隣にも蒲団が敷かれた台があり、その足元の方には壁があった。上からギシギシという音がして、その音がアシリカルのいる寝台の方へとやって来た。音の主は一人の女の子だった。
 女の子は薄い金色の髪を一束の三つ編みにし、肌はアシリカルよりも雪のように白くて、瞳は水色。着ている服も袋の底に上下左右に穴をあけて左右に長い袖をつけ、薄黄色の前掛けをつけていた。歳は十歳位だろうか。背丈は四尺半(一三五センチ)はある。
「あ、起きた? お姉ちゃん、お腹空いている? お母さんがおいしいスープを作っているよ」
 女の子はカラが鳴くような声でアシリカルに言った。
「えっ、あの」
 アシリカルが女の子にいくつか訊ねようとした時、女の子は寝台とは反対側にある壁の扉の方へ行ってしまった。それからしばらくして、女の子の母親らしき人が木の盆に素焼きの平べったい皿に汁と薄茶色の丸い団子を持ってきたのだ。母親は女の子と同じ型の服を着、白い無地の前掛けをつけ、足首を覆う長い靴をはき、長い金髪を一つにまとめ、女の子と同じ水色の瞳と雪白の肌をしていた。
「良かったわぁ、目が覚めて。お腹が空いているでしょう。はい、たまねぎのスープと黒パンをおあがり」
 母親はアシリカルに食べ物の盆を渡した。
「あ、ありがとうございます」
 アシリカルは思慮深く盆を受け取り、透き通ったアメ色の汁を木のさじですくって口にした。
「おいしい」
 一口すすっただけなのに、食が進んだ。アシリカルはこの国の煮込み汁(オハウ)と団子(シト)をすぐ平らげた。食べ終わると、何で自分はここにいるのか母親に訊いた。
「何で……あたしはここに?」
「昨夜、もうすぐ寝ようとした時に玄関の戸を叩く音がして開けてみたら、あなたがいたんだもの。見慣れぬ着物を着ていたからよその国の旅人がこの村に迷い込んで倒れたと思って、家に入れたのよ。でもうちは寝床が一階にわたしたち夫婦、二階は子供たちが眠るとこしかなくって……。わたしがあなたに寝床を貸して、昨夜は二階で子供たちと身を寄せ合って寝たのよ」
「……そうだったんですか、すみません」
 アシリカルが謝ると、母親は「いいのよ」と許してくれた。
「ああっ!! そうだ、カントは!? カントはどうしたんだろう?」
 アシリカルはどうして人家にいるよりも、カントの事を気になりだした。
「あの……あたしの連れなんです! フリィという人間一人が乗れるような大きな鳥の……子供なんですけど、見かけませんでしたか?」
「い、いいえ。そんなのは知らないわ」
 母親が言うと、アシリカルは暗くなった。
(どうしたら見つかるのかな……。どうしてはぐれたんだろう……)
 その時、女の子が言った。
「探し物ならヤガーさんに頼むといいよぉ」
「ミ、ミーシャ!!」
 母親がミーシャの発した「ヤガーさん」という言葉を聞いて叱った。
「ヤガーさん?」
 アシリカルが訊くと、ミーシャの母親が答えた。
「何でも知っているおばあさんの名前よ。森の中に住んでいるのだけれども……彼女は人間ではなく魔女よ。もしかしたら、あなたは喰われるかもしれない」
「魔女……。喰われる……」
 アシリカルは初めて魔女という存在を知り、カムイシレペツの魔物みたいなもので、人を喰うというのは理解できた。
「それでも……あたしはカントを探しに行きます! あの子はまだ幼いんだもの。独りにしておく訳にはいかない」
 アシリカルは堅く決心した。
「――ああ、やっぱりそうなるのね。わかったわ、あなたの服と剣を返しておくわ。気をつけていくのよ」
 ミーシャの母親はアシリカルに外套と刀と靴を渡した。
 親子はアシリカルを村の出口まで送り、仲間を探しに行くアシリカルを見送った。
「お母さん、あのお姉ちゃん、無事に帰ってくるよね?」
「ええ、そうね。わたし達ができるのは、あの子の無事を祈るしか……」
 村は平和で農夫たちは畑を耕し、おかみさん達は機織りや糸紡ぎ、子供達は村の学校へ行き、大きな子供達は家畜番や親達の手伝いをしていた。男達は袋に袖をつけた上着と温かな下衣と足首を覆う長靴と温かな帽子を身につけ、女達は頭に毛織りの頭巾をかぶっている。空は白く雪は降っていなかったが、空気が冷たく吹いていた。

 村を出たアシリカルはミーシャの母親から聞いた道を歩いていた。野原を超え、山を越え、ヤガーさんが住むという森へとやって来た。森は槍をたくさん立てたような尖った木々が並び、今にも怪物が出てきそうな雰囲気である。
「怖いな……。でも、わたしを置いてってしまったカントの方が心細いんだ!」
 アシリカルはそう言うと、森へ足を踏み入れた。ミーシャの母親から、森に入る時の注意を思い出しながら。
『ヤガーさんの家はすぐわかるわ。一見、漆喰とレンガでできた家にはニワトリの足が生えているの。ヤガーさんが「何しに来た」と言ってきたら、正直に用件を伝えてヤガーさんが出した課題をやり遂げるのよ』
(ニワトリの足の家……。気持ち悪いなぁ)
 アシリカルは森を歩きながら、ヤガーさんの家を想像した。この国はおとといに下りた岩山の森と違って、木花の種類は豊富なものの、森に入って来た者たちを迷わせそうな気配を出していた。森を歩いていると、ズーン、ズーン……という音がしてきた。
「なっ、何? 地震?」
 アシリカルは四方を見回し、後ろを振り向くと、そこには巨大なニワトリの足――のついた大きな漆喰とレンガの家があったのだ。
「あ……ニワトリの足の家……」
 アシリカルは頭を上げ、目的の家が移動していたのに驚いた。家の足はアシリカルを招くように折り曲げて地面から少し浮くように低くなり、アシリカルは恐る恐るカシの木の両扉に手をかけた。扉は内側に開き、家の中に足を入れる。ところが、家の中は外観と違って意外に広く、複雑な通路になっていた。
 どこに行ったらいいかとアシリカルが悩んでいると、黒い猫が現れて金色の目でついて来いと言うように向けて、アシリカルは黒猫のあとをついていった。この猫がいなければアシリカルは迷子になっていただろう。
 そして猫は一つの扉の前で止まった。アシリカルが扉をあけると、そこの部屋にヤガーさんらしき老婆がいたのだ。
 壁に造られた炉の前で揺り椅子に座り、グオー、グオーといびきをかいて眠っていた。鼻はワシのように長く、顔にしわが走っているが口に鋭い牙が四本はみ出ており、手の指には鋭い爪、暗い紅の頭巾をかぶり、黒い服を身につけ、靴は木を削った靴である。猫がニャオーとばあさんに呼び掛けると、ばあさんはハッとするように目を覚ました。
「何だい、エミール? ああ、お客様かい?」
 ばあさんは猫にそう言うと、冷たい灰色の目でアシリカルを見た。
「おじょうちゃん、あんたよその土地から来た人間だろう。その髪と目の色と衣服の形――。どうやら外国との縁が少ない島国の者だろう? どうやって、この地に来たのかね?」
 ばあさんが訊くと、アシリカルは正直に話した。
「わたしは……カムイシレペツという国からやって来た者で、アシリカルといいます。
 わたしはフリィという神様にしか懐かない鳥の背に乗って、ここまでやってきました。ですが昨夜フリィの背中にいたはずが、人家の中にいて、わたしはフリィの子を探しに、ヤガーさんに訊ねに来ました」
「ほう、そんな遠くからか。確かにわたしがヤガーだよ。ガンや白鳥などのわたしの所にやってきて、よその地の事を伝えてくれるから、そんなことは知っている。
 フリィの居所は残念ながらわたしはわからぬ」
 アシリカルはヤガーさんの話を聞いて、落胆した。しかしヤガーさんは続けて言った。
「そう落ち込むでない。わたしの言う事を聞いてやってくれれば、助けてやるよ」
「ほ、本当ですか!? 何でもします」
 アシリカルは顔を上げた。
「ああ、今は移動していて新しい畑を作りたい。そこで新しい畑を作る柵を立ててほしいだけだ。もうすぐ着く」
 ヤガーさんはアシリカルにそう言うと、アシリカルはにこやかにする。
「畑を作ればいいんですね。わたし里にいた時は両親の手伝いをしていたから、農作業と狩り、あと剣舞は慣れています」
「ほう、そうかい……。さて、できる事かね……」
 クックッとヤガーさんは笑いながら、アシリカルを外に出した。着いた所は、川の近くの空いた土地で、上から見ると円状に土地が見えるのだ。アシリカルはてっきり広すぎる荒れ地を夕方までに耕せと思っていたが、大体アシリカルの家の畑、七つ分の広さである。アシリカルは鍬を持って、土の部分はならして、草地は雑草を採り、それを何度か繰り返した。太陽が真ん中に来た時には全て地面を耕した。お腹をすかせたアシリカルは、ミーシャの母親が持たせてくれたシトと豚の塩漬け肉とリンゴを一個、食べた。この国のシトはカムイシレペツと違って、外はパリパリ、中はフワフワである。そして柵の材料を取りに家の中に入ると、ヤガーさんは台所の食卓で、何と山積みのシトと牛の丸焼きと大鍋一つの魚の汁と麦酒を樽一杯を独りで食べていたのだ。アシリカルはヤガーさんの食べっぷりに驚いたが、柵の材料はどこにあるか訊いた。

「柵の材料なら、地下室の一番奥だよ。何じろじろ人の食事を見ているんだい。あげないよ!」
「はっ、はい!」
 アシリカルは台所を飛び出し、地下室の一番奥へと向かった。中を開けてみると、アシリカルは「ヒイッ」と声をあげそうになった。
 何とそこには人間のしゃれこうべや何十人分もあったのだ。アシリカルは怯えたが、怖さをぐっとこらえて骨を持てるだけ運び、しゃれこうべが上に来るように柵を作った。人骨の柵を組み立てながら、アシリカルはミーシャ親子の言ってた事が理解できた。
(もしかしたらこの骨にされる前の人達は、何らかの理由でヤガーさんを怒らせて食べられたんだ……)
 そう考えながら柵を立てていき、夕暮れには柵を作り終えたのだ。ヤガーさんはアシリカルの働きぶりを見て褒めてやった。
「ほう、よくやったじゃないか。怖さのあまり逃げ出すと思っていたが……」
「そんなことはありません。わたしはカントを探したい一心で……」
 アシリカルがそう言うと、ヤガーさんはフフッと笑った。
「アシリカル、お前の仲間思いの強い心は、カントを見つけられる」
「どうやってですか?」
 ヤガーさんは尖った爪のある指でアシリカルの唇を指した。
「歌を唄うんだ。お前の放つ声を風に乗せてカントに伝えるんだ。道具とかなくたってできるよ」
「歌……?」
 アシリカルは唄う事でカントと再会できるのか疑わしく感じた。
「あたしは明日の作業に備えてもう休むよ。もうお前と会うこともないだろう」
 そう言ってヤガーさんは家の中に入り、アシリカル一人が取り残された。でも、骨の柵でできた畑を後にして、森を歩き、他の木よりも大きな菩提樹を見つけて登り、夕日の赤と夜の紺で染められた空を見つめた。
 夕空にはカラスやガンなどの鳥が巣へ帰り、風も冷たくなっていた。
 アシリカルは歌を唄って、カントを呼ぶように唄った。

 銀の嘴 銀の蹴爪
 金の瞳に夜と昼の羽の色
 わたしの国の一番高い山に
 棲んでいる フリィの子よ
 どこにいるか ここに来て
 わたしの声を風に乗せて
 全ての風が広めてくれる
 フリィの子 どうかやってきて

 アシリカルが歌を唄うと、西の方角からワシよりも大きく、昼と夜の羽の色と銀の嘴と蹴爪と金の瞳の鳥、フリィの子カントが飛んできた。カントは両翼を羽ばたかせながら、アシリカルの歌を聴いてやってきたのだった。アシリカルは涙ぐみながら、カントの顔に抱きついた。
「カント! どこに行っていたの? 独りで怯えているんじゃないかと心配したんだよう」
「ごめんね、アシリカル……。だって、昨夜アシリカルは凍えていたから、村の人達に託したんだよ」
「えっ……」


 アシリカルはどうしてカントの背中から村の家にいたのかとカントの台詞で納得できた。
「そうだったの?」
「うん、ぼくが訊ねても起きなかったから、ぼくが家の前にアシリカルを置いて、扉を叩いてアシリカルを泊めてもらって、ぼくは去ったんだ。みんな、ぼくを見たら驚くだろうと思って」
「ううん、わたしを助ける為にやってくれたのよね。カントも無事でよかった……」
 アシリカルはカントに感謝した。
「でもね、カント。もうわたしが危険であれといえど、カントが独りになったり、わたしは独りになったりするのは、イヤ」
「うん。ごめんね、アシリカル……」
 そう言って、アシリカルとカントは菩提樹の木の根元で体を寄せ合って眠った。カントの羽毛でアシリカルは暖かくして、そして日の出とともに出発した。
 アシリカルを乗せたカントは、西や南へ向かうガンや白鳥と共に、新たな土地へと向かった。