アシリカル1-5

 

 レベッカの願い

 アシリカルとカントが砂原の国を旅立ってからどれくらいが経っただろうか。その間、カントは人里から遠く離れた山や森の川や泉で力をつけ、アシリカルはその時には木の実や魚や鳥の卵を獲って食べた。雨の降る日は山の洞穴や木のうろの中で休み、時折、旅の記録として帳面に見つけた動物の絵や花や木の絵を描き、他国の人間の文化や建物も絵にしたり、説明文も書いていた。
 チュプカントコタンの春はほんのり寒いのに対し、アシリカルとカントは西へ西へと進んでいくうちに、暖かい土地へと入って来た。
 晴れた日の朝、アシリカルとカントは潮のしょっぱい香りと暖かな風が混ざりあって、アシリカルの肌や髪に当たり、褐色の髪がなびく。
「見て、アシリカル。もうすぐ陸が見えるよ」
 カントがアシリカルに言った。アシリカルが目先を真っ直ぐにしてみると、かけらのような島々と陸が見えてきた。
「あ、本当だ。でも、もうちょっとその先、見てみたいなぁ」
「うん」
 アシリカルがカントにそう言うと、カントは西の方角へと直進した。島のかけらのその先は細長い陸だった。その近くに島が二つ三つある。さっきの島々つまり諸島とは違って大きめである。アシリカルとカントは細長い岬の隣の小島でしばしの休憩をとる事にした。カントは島を流れる川の川上に降下し、ここで水を飲んで力をつける事にした。小島の川上にある奥地に降り立ったアシリカルは、そこから見える高台から島の風景を見られる事が出来た。川上はナツメの仲間と思われる木の実や黄色い柑橘の果実の木やカシの木が生えた森のようだったが、川下の土地ではアシリカルの国では見られない建物ばかり。白や茶色の石壁に屋根は赤や黒や緑と様々で、窓の形も黒や白の木枠ではめ込まれ、カムイシレペツや和国では金持ちしか手に入れる事が出来ないガラスが使われている。他にも川を渡る石造りの橋も半円型に丁寧に造られ、石畳を敷いた道は車輪のついた箱が馬によって引かれている。そして何よりアシリカルが美しいと思ったのは、町の向こう側が海で、しかも陸地が見える事だった。島と細長い岬のある陸地が海で区切られているのだ。吹く風も空を飛んでいた時は強かったのに対し、陸地はそよ風で潮のいい匂いも運んでくれるのだった。
「……アシリカル?」
 カントが呼んだので、アシリカルは振り向いた。
「もしかして、川下にある町に行ってみたいの?」
「うん。どんな人がいて、どんなくらしか見てみたくって……」
「いいよ。行っておいで。もし帰りたかったら、フリィの歌を唄ってね」
「ん、ありがとう」
 そう言って、アシリカルは川下へと降りて、町への探検に行ったのだった。アシリカルは川をつたって、山道を下りていき、草木と土砂のある野から平地の原っぱへ下りてきて、初めて間近で見た海辺の町を見て、目を丸くして驚いた。男は袖のついた袋のような上衣にその上に袖のない羽織のような服や肌に合わさった長い下衣やひざまである下衣、靴はみな、布靴で質素なもの女は上は男と同じのと長い腰布か長い袋に袖をつけたような衣服をまとい、中には頭巾やひらひらがついた帽子をかぶっている。みんな同じというか似たところは、陽気な人が多い事である。
 中年の女性は集まって楽しそうに喋っているし、若い青年も娘さんに口説いているようだし、子供達も楽しそうに家の前で遊んでいる。そして建物は間近で見ると、より一層美しく見えた。アシリカルが町の光景できょろきょろしながら、町中を歩いていると、誰かとぶつかって尻もちをついた。
「わっ」
「お前、どこに目をつけているんだ」
 前方からきつい男がして、アシリカルは謝った。
「ご、ごめんなさい……」
 アシリカルが顔を上げると、栗色の縮れた毛に青い目にすっきりした顔立ちの青年が立っていた。青年はアシリカルを見ると、強張った顔から優しそうな顔に変わった。
「いやいや、大丈夫。それにしても君、かわいいね。ぼくが好きなものを何でもおごってあげるよ。これでもね、大商家の息子なんだよ」
「え、あの、ちょっと」
 アシリカルは急に青年の態度を見て、うろたえた。
「困ります。知らない人から、おごられるなんて……」
 その時、青年の後ろから「やめなさい」という声がした。それは女の子だった。
「嫌がっているじゃないの。離してあげて」
 女の子に言われて、青年はその場から去る事にした。
「今日はだめだったけど、いつでもおごってあげるよ、じゃあね」
 そう言って青年はアシリカルと助けてくれた女の子に手を振った。
「あなた、大丈夫?」
 女の子がアシリカルに話しかけた。
「え、ええ。大丈夫……」
 アシリカルは女の子を見た。背丈は五尺(一五〇センチ)のアシリカルより大きめで、大きな若葉色の瞳に白い帽子をかぶっていて、夕焼けのような赤い髪を三つ編みにし、黄色い肩掛けと緑色の服を着ている。
(この子はランコに似ているなぁ)
 アシリカルは女の子を見て思った。髪や目や背丈や顔立ちはランコとは全く違うが、真面目さがランコに似ていたのだ。
「あ、助けてくれてありがとう……。わたしは、アシリカル」
「わたしはレベッカ。しがない裁縫道具屋の娘よ。あなた、見慣れない服ね。この国の人間じゃない、ってのはわかる」
 アシリカルは思い切ってレベッカに本当の事を話した。
「へえ、あなた旅をしているの。一人で? すごいわねえ」
「あ、違うの。カントって子と……一緒なの。今は別行動だけど」
「何で旅をしているの?」
 レベッカが訊ねてきたので、アシリカルは本当の事を言った。
「――生まれた時から自分の村とその周辺にしか出た事がなくってね、どうしても村の外を出たかったんだ……」
「ふうん、すごいね。どこの国の出なの? 何でやって来たの?」
「うん、と……この島からずっと東から来たの。その前にね、森を見たり、雪の降り積もる村を見たり、砂丘の中の村も見てきた。初めて見る花や木や動物も目にした。
 どうやって来たかというと……」
 アシリカルがそれを言おうとした時、お腹がキュウッと鳴った。
「あら、お腹空かせちゃったのね。いいわ、わたしが連れてってあげる」
 レベッカはアシリカルの手を引いて、町の料理亭へと連れて行ってくれた。太陽はいつの間にか中心に高く昇っていて、昼の真ん中になっていたのだ。
 料理亭は折りたたみ式の食台と二人掛けの椅子が二つ置かれ、他に厨房と食卓が隣り合わせの席があった。その椅子は丸い三本脚の椅子である。アシリカルとレベッカは店の入り口の席に座った。他にも腕っ節の強そうな大工や年老いた学者や青年の集団や着飾った婦人が来ていた。レベッカは二人分のめん料理を頼んだ。
「あの、レベッカ。わたしはお金がないの……」
 アシリカルが心配そうに言うと、レベッカは「あたしのおごり」と優しく笑った。
「これは一番安いものだけど、おいしいよ」
 アシリカルは素焼きの平たい皿に盛られた黄色いめんとめんの中に混ざった赤い果肉の破片と肉の粒が入っているのを見て、何かと眺める。
「あら、あんたパスタを見た事がないの?」
「パスタ?」
 アシリカルは聞き慣れぬ言葉を耳にして、きょとんとなった。
「こうやって食べるの」
 レベッカは小さな四本刃の槍のような道具で、パスタを巻きつけて口にした。アシリカルも食べ方を倣って、パスタを口にした。
「おいしい」
 初めて口にした異国の料理を食べて、アシリカルは感動した。
「ごめんなさいね、見ず知らずの人に昼ご飯を出してもらって」
 アシリカルはパスタを食べおると、レベッカに言った。
「大丈夫よ。わたしはもう少ししたら、うちに戻って働かなくっちゃ。お父さんとお母さんだけじゃ、店を切り盛りするのは大変だからね。弟も妹もいるし」
 そう言いながらレベッカとアシリカルは料理亭にこの国の通貨である銅貨十枚を払い、再び町中を歩きだした。
「あ、そうだ聞かせてよ。アシリカルの事やアシリカルの国の事。もっと聞きたいな。家族とか友達とか」 
 レベッカはアシリカルのからの話を聞いて、顔を輝かせた。カムイシレペツノ南東にあるチュプカントコタンやかつてその村の危機から救った父母、友達のランコや幼馴染のヤトロ、それから自分は村を守る戦女(いくさめ)である事を話した。
「アシリカルにも両親や友達がいるんだ。それも村を守る戦女ってたくましいのね」
「うん。レベッカはずっと家で、裁縫道具屋をやっていくの?」
 アシリカルが訊くと、レベッカはアシリカルに自分の夢らしき事を話した。
「わたしはいつか幼馴染のジュリアーノの奥さんになりたいの」
「ジュリアーノ?」
「わたしの幼馴染で恋人。二つ上の。彼は貧しい金物屋の息子だけどね、この島のお医者さんは数が少ない。彼は島中の人達の協力も得て、島の向こうの本土の医学校に入ったのよ。ジュリアーノがお医者さんになったら、結婚しようって、約束したのよ」
 レベッカは現在十六歳で、ジュリアーノは十八歳である。医学校の勉強期間が終わった時は十九歳と二十一歳になっている。レベッカにも女の子の友達が何人かいたが、ほとんどが婚約することが決まったので、レベッカとはあまり付き合わなくなったという。アシリカルの国でも男子は十九歳から、女子は十六歳から結婚が可能であるが、アシリカルには結婚の他にも剣舞や両親の手助けといったやるべき事ややりたい事がある方が優先である。
 レベッカとアシリカルは話しながら、色とりどりの町が並ぶ石畳の道を歩きながら、レベッカの家である。裁縫道具屋に到着した。レベッカの家は黒い屋根に茶色の壁の二階建てで、一階はお店、二階が家族で過ごす場所、屋根裏でレベッカと弟妹は寝ているという。中に入ると、扉は片開きで、中は木板、木の棚にはまち針や縫い針の箱や様々な色や柄の布やリボンが置かれ、糸も太さや色によって選別されている。その店の奥にレベッカと同じ赤毛に緑眼の女性と亜麻色の縮れ毛の男性が座っていた。そして他に、黒い髪を一つに束ねた背の高い女性がいた。
「お父さん、お母さん、それにジュリアーノのお母さん、どうしたの?」
「おお、レベッカ。帰ってきたのか。実はな本土に下宿しているジュリアーノが臥せたっていうんだよ」
「ええっ!?」
 レベッカはその話を聞いて、座り込んでしまった。そして目を潤ませた。
「な、泣くのはおよし、レベッカ。まだ重い病になった訳じゃないんだよ。しばらくは下宿先の主人が様子を見て、下宿先の人達に任せてもらってね……」
 店の前にいたアシリカルは部外者だが、レベッカの恋人のジュリアーノが病気になってしまった事は悟れた。
 そしてきびすを返し、森山の川上にいるカントの所へ走っていった。

 カントのいる森山の川上に戻ってきた時は、あと二時間で日入る頃だった。その間にアシリカルは飲まず食わずで、走って戻ってきたのだった。
「やあ、アシリカル。お帰り。どうしたの、息を切らしてきて……」
「カント……。お願いがあるの……。町で出会ったレベッカって娘(こ)の恋人が病気で臥せちゃって、その人は島の向こう側の医学校に行っていて、ここにはいなくて、あたし、レベッカに町中でからまれていてね、元はというと……」
 そして川辺の水をすくって飲んで、落ち着くと、アシリカルはカントに今日の出来事を最初から最後まで話した。
「わかったよ、アシリカル。レベッカって子を恋人のいる所に連れて行けばいいんだね」
 カントはアシリカルの考えで、レベッカを恋人と合わせて元気づけてやって、あげたいという思いを伝えてくれた。

 そして夜になり、昼間は明るくにぎやかな町は、静かでみんな寝入っている。レベッカは屋根裏部屋にある粗末な寝台と藁布団で、弟と妹と一緒に眠っていた。だが、レベッカは眠れなかった。大陸本土にいるジュリアーノが病気になって様子を見に行きたくても、船賃や宿泊費などのお金がないためにいけなかった。その時、コツコツと木板の窓が叩かれる音を聞いて、窓を開けた。そこには月明りで照らされたアシリカルの顔があった。
「レベッカ」
「あ、あなたは……アシリカル!? 何で?」
「レベッカを助けに来たの。行こう、ジュリアーノのいる所へ」
「アシリカル……? あなた、知っているの? ジュリアーノが下宿先で臥せっている事を……」
「さあ、早く着替えて、この窓から出て。ジュリアーノさんのいる所へ行きましょう」
 アシリカルに言われて、レベッカは昼間と同じ服を着て、長い朝の肩掛けを羽織り、思い切って窓から下りた。それは何と、巨大な鳥で、橙と青の羽毛で覆われていた。
「あ、アシリカル? これは……!?」
 レベッカが驚いていると、アシリカルは「しっ」と言って、説明した。
「この子がわたしの旅の共、カントよ。フリィという鳥の子でいい子なのよ」
 そしてカントは羽ばたいて、北の方へと二人の少女を乗せて飛んでいった。
「わあ……飛んでいるよ、アシリカル」
 レベッカは自分が飛んでいる様子を見て、アシリカルに言う。月明りで家々の屋根が見え、川も縫うように流れており、桟橋のある港から、海に出た。瑠璃色の夜空には銀の星々が瞬き、藍色の海が波音を立てながら揺らいでいた。月が半分割れたように銀色に輝いている。
 藍色の波から白い区切りの砂浜が見え、レベッカの住む町よりも大きな建物が並ぶ町が見えてきた。
「アシリカル、あれよ。あの赤い屋根の四階建ての建物に、ジュリアーノがいるの。ここに降ろして」
 レベッカがアシリカルとカントに言った。カントはゆっくりと屋根に下降し、アシリカルとレベッカはそこから下りて、屋根の上に下りる。幸い屋根は平屋根だったから、滑る事はなかったが二人は落ちないように気をつけた。それから屋根裏部屋の窓の外には人一人が乗れる足場があって、そっと手と足をかける。海辺に近い町だけど、風は穏やかだったので飛ばされる心配はなかった。そしてレベッカはコツコツと窓を叩いた。反応がない。思い切って窓を押してみた。窓は内側から開くもので、しかも内側から突き出た出窓のため、たやすく入れた。レベッカは出窓から入ると、寝台で臥せっている青年の顔を見た。油が燃料の手灯にはっきりと、青年の顔が照らされている。
「……ジュリアーノ!!」
 レベッカは青年の顔を見て叫んだ。すっきりとした目鼻にハシバミ色の瞳と髪、彼がジュリアーノであった。
「レベッカ? 君は故郷の小島にいる筈じゃ……。熱で幻覚が見えているのか……」
 ジュリアーノは熱で赤くなった顔を起こし、レベッカを見た。
「ううん、本物のレベッカよ。わたし、ここまで来たの、ジュリアーノ!」
「レベッカ……? レベッカなのか! 本物の君なんだね!!」
 二人はひしっと抱き合い、ジュリアーノも嘘のように症状が軽くなった。後から入ってきたアシリカルが二人の様子を見守っていた。
 レベッカとジュリアーノはアシリカルに礼を言った。
「アシリカル、ありがとう。ぼくとレベッカを会わせてくれて……」
「ありがとう、本当にありがとう。わたしをジュリアーノのいる所に運んでくれて……」
 二人にお礼を言われて、アシリカルは照れ笑いした。それからこう言った。
「うん、昼間にレベッカが出してくれたお礼をどうしても果たしたくって……。そしたらジュリアーノさんが臥せたってお店から聞こえて、レベッカがうろたえるのを見て、会わせてあげようって思いついたの。大きな賭けだったけど」
「ううん、アシリカルが思いやってくれただけでも充分よ」
「それで、レベッカはこれからどうするの?」
 アシリカルはレベッカをまた小島へと運ぶのか訊いた。
「わたし、ジュリアーノと一緒にいるわ。彼と二人で、この町で過ごすわ」
 レベッカはアシリカルに伝えたのだった。
 そして夜明けになると、アシリカルはレベッカと別れて、カントに乗ってとびだった。一度、レベッカの住んでいた小島に彼女の家族に手紙を届けてから、次への旅路へと進んでいった。
「ねえ、アシリカル。ぼく達が旅をしたから何日になった?」
「えっと……、もう十日になるわ。あっ! そしたら、次の満月には間に合わない! このまま西へ進んでいったら、二ヶ月以上先の満月までになっちゃうよ……」
 アシリカルが旅立ってからの計算をすると、あと十日で満月になって、カムイコロヌプリの入り口が開いて、閉じたら次の満月までにフリィ達の棲みかにカントは帰れなくなってしまう。アシリカルは考えて、ためらったが決意した。
「カント、東に戻ろう。カントが家族のもとに帰れなくなったら、困るもの……」
「アシリカル……。ぼくのために……」
「いいよ。西回りで世界の全部を見られると思ったけれど、数ヶ所でも充分よ。行こう、東へ」
 薄紅色の夜明けとともに、アシリカルとカントは、カムイシレペツへと進路を向けた。
 そしてレベッカはというと、ジュリアーノと共に本土の街で暮らし、ジュリアーノの医学校卒業と共に帰郷すると、家族への手紙に書かれていた。
 長女がいなくなった裁縫道具屋の主人とおかみは最初は驚いて慌てふためいたが、恋人を追った事を知ると、安心したのであった。
 そして家の近くに橙と青の鳥の羽がいくつか落ちていたのは、もう少し後に一家は気づくのであった。