アシリカル1-7

 

 竜宮での事件

 アシリカルとカントはカムイシレペツへと向かって、南東国の原生林の国や石造りの寺がある国、にわか雨がしばし降る国を通過して、和国本土から離れた海の上を飛んでいた。途中でアシリカルとカントは南東国の果実や釣った川魚を食し、川の清水を飲んで力をつけていた。
 次の満月まであと五日。半月だったけれど、カムイシレペツの外を見られて楽しかった日々があと少しで終わろうとしていた。満月になればカムイコロヌプリの入り口が開いてカントは帰り、アシリカルは剣舞と狩りと農作業の生活に戻る。そして十五歳の誕生日を迎える。途中、アシリカルは原生林の国で珍しい二輪の花を髪に刺していた。一つは橙、一つは白い花で星をいくつも重ねたような形をしていた。大きくて綺麗だったので、二輪だけいただいたのだった。
「こりゃ酷い天気だな。風が強くなってきたぞ」
 カントはアシリカルに言った。空は灰色に染まり、風が呻るように吹き、海の波も荒くなっている。幸い象のいる国と違って蒸し暑くはなく気温が生温かい。
「嵐が来るのかな。どこか陸地を見つけて避難しないと」
 アシリカルがそう言った時、ゴロゴロゴロ……と空が鳴った。
「雷が来る!」
 アシリカルは叫んだ。向こうの空に裂けたように稲妻が走り、落ちる音を立てた。そして雨が滝のように降り、二人を一瞬でずぶ濡れにした。波も高くなり、二人を呑み込むように迫ってくる。風はカントの行き先を邪魔するかのように吹き寄せる。
「嵐が来たよ! カント、大丈夫なの!?」
「何とか陸地を探してみると。うわっぷ!」
 高波がカントの顔にかかり、目に海水が入ったカントは方向感覚が保てなくなり、そのまま海へと真っ逆さまに。
「あああ~!!」
 アシリカルもカントから落ちまいと必死にしがみつき、両目を閉じて意識を失った。

 それからどれくらいが経っただろうか。アシリカルとカントは見知らぬ土地の花畑に転がっていたのだ。紫のすみれや白いナズナや桃色のレンゲが敷き詰められたように咲きほこっていた。
「う……、ここは!? あれ、海に落ちたと思っていたのに、いつの間に流されたんだろう」
 アシリカルは自分達がいつの間に陸地の花畑にいたのか驚いた。近くにいたカントも目覚め、金色の双眸で辺りを見回す。
「あれ? どうしてこんな所に……。嵐はどうしたんだ?」
 カントは空を見上げた。空は最下が薄紅だが、下から順に薄紫、水色、薄緑という色合いをしており、その上空には水面があったのだ。
「こ、ここは陸の上じゃない! 水の中だよ!」
「ええっ!? 海の中にこんな世界があったの!?」
 アシリカルもカントも海の中がこんな風になっているのを驚いた。ところが花はというとれっきとした地上のつるつるした茎や葉でなく、なよなよとして水藻みたいなもので、花びらも柔らかそうに見えるが触ってみるとイカの切り身みたいな弾力性があるのだ。そして木かと思っていたのは、朱色や黄色や青のサンゴであった。空の上では何かの魚の群れや赤いタイやまん丸いフグやとげとげしたカサゴなどの魚が泳いでいた。
「うひゃー、本当に海の中だぁ。わたし、川魚しか見た事がないから、海の魚は見れなかったんだよねー」
 アシリカルがこの光景に見とれていると、ある事に気がついた。
「あれ? わたしとカント、水の中にいるのに呼吸ができるよ。何で?」
 その時、一匹のニシンが二人の前に現れた。
「あはは。やあ、君達。地上の連中だね? 魚でもないのに息ができるってのは、ここは竜宮帝国の敷地内だからさ。敷地内は息ができて、ぽかぽかしているのさ。よかったねぇ、竜宮帝国に沈んで」
「竜宮帝国?」
 カントがニシンに訊ねる。
「竜宮帝国ってのは、この国の王様、竜王様が治めている国で、極楽みたいなものさ。でも、ぼく達魚には最初から極楽だけどね」
 ニシンがそう言うのを聞いて、アシリカルは思い出したように語った。
「聞いた事ある。竜宮帝国って、ちっちゃい時、南の土地を旅していたお兄さんから、海にそういう国がある、って言ってたよ」
 アシリカルが六つか七つの頃、旅に出ていた同郷の青年からそういう話を聞かされ、海は見た事がないけどそういう所があるのか、と幼心に感じていた。
「あ、こんな所でうかうかしている場合じゃなかった。早くここから出なきゃ。カントが自分の国に帰れなくなっちゃう」
 アシリカルは道草を食っている場合じゃいと気づいて、カントの背中に乗ろうとした。
「あー、そりゃ簡単に出られないよ」
 ニシンがそう言ったのを聞いて、アシリカルはどういう事だという顔をした。
「竜宮帝国の内域は特殊な見えない壁で囲まれているから、海の生き物以外は出られるほどのヤワさじゃないんでね。時々、人間や船が竜宮帝国に沈んでくるけど、竜宮帝国に落ちたのなら助かるし、国の外なら溺れ死に。それに竜宮帝国って、楽しいから一生ここにいる人間もいるけどね」
 ニシンはアシリカルとカントに竜宮帝国から脱出するには容易い事でないと聞かされ、動揺した。でもアシリカルは咄嗟に迷いを振り切った。
「わたしは自分の国に帰りたい! というより、カントを故郷に帰してやりたい! どんなに楽しくても太陽が届かない竜宮に留まりたくない!」
「そんなに言うんなら、竜宮王様に会ってみる? 王様なら竜宮帝国からの出かたを知っているし、その力もある。ここから東に進めば町があって、その町の上に王宮がある。せいぜい頑張ってみる事だね」
 そう言ってニシンは行ってしまった。
「アシリカル? 本当に王様に会いに行くの……?」
 カントはアシリカルにこの挑戦をするのかおそるおそる訊いた。でもアシリカルは決心していた。
「会いに行くよ。一分でも早く、カムイシレペツに帰るんだ」

 アシリカルとカントは歩いて、王宮のある町へと進んだ。カントは竜宮の空を飛んでいこうとしたが、固く冷やした寒天の中を潜っているようにとらわれてしまい、出来なかったのだ。魚やクラゲやタコや海亀はすいすいと泳げるのに。
「地上や空の生き物には合わない環境になっているんでしょうよ」
 アシリカルはそう悟った。一面に続く花畑から海草の原っぱやサンゴの林を抜け、二人は高台から城下町を見て驚いた。
 町は円状の白い壁に囲まれ、黒い瓦屋根で装飾されており、家屋は一軒屋もあれば何世帯かで暮らす長屋もあり、壁は純白と共通だが、屋根が一軒一軒違う色になっている。その中心に巨大な五階建ての建物、竜宮城が建っており、屋根には龍の像の装飾が施されていた。
「あれが竜宮城? 凄い立派ね……」
 竜宮城の城下町では、町民と思われる魚やエビやヤドカリなどの水棲生物や竜宮人らしき人間も行き交いしていた。
「行ってみよう、アシリカル。早くここから出なきゃ」
「うん」
 アシリカルとカントは海草の原っぱから下り降りて、城下町の門へと進んだ。門もこれまた立派で、観音開きの鉄のような七丈(約二十メートル)の門には二匹の龍が刻まれており、雄と雌とあらわしていた。扉は開いていたので、アシリカルとカントは迷わず足を踏み入れた。
「わあ……」
 二人が目にしたものは、城下町の美しさであった。みんな家屋は二階建てで、海の生き物たちや竜宮人である人間達は、通りを歩いていたり、泳いでいたり、衣装屋やせともの屋や装飾品店や茶屋などの店を営んでいる者もいた。竜宮人は男も女も子供も老人もこめかみや腕や脚や背中に魚の透き通るひれがついていた。それは飾りではなく本物で、永い年月でこのような姿になったのだ。衣も絹や錦や別珍のように見えるが、竜宮特有の素材で形は魚介類を模したものである。
「貝殻の食器、いらんかね」
「丈夫な反物ですよー」
 城下町は活気にきわだっていた。
「竜宮城への入り口を知っていそうな人を探そう」
 アシリカルは竜宮王に会うために、竜宮人の老人に声をかけた。老人は髪もひげも長くて灰色で、硬化したサンゴの杖をついていた。
「すみません、おじいさん。竜宮王に会いたいのですが、どうやったら行けますか?」
「何だね、君は。ああ、見慣れぬ者じゃな。珍しい衣を着とるのう……」
 老人は髪で隠れた目からアシリカルを見た。
「あ、あの、わたしとカントは竜宮の者じゃなくって、地上の住民なんです。嵐で海に落ちて竜宮国に辿りついたんですけど……」
「ああ、そうか。時折、竜宮帝国に難破した船や人間がここにやってくる事があるんじゃ。地上に帰るために竜宮王様に帰り方を教わりに城へ行くんじゃが……。今まで帰らずに竜宮での生活が快適が過ぎて留まっている人間もいるんじゃよ」
 フェ、フェ、フェと老人はいたずらそうに笑った。老人の話を聞いて、アシリカルは城下町を再び見まわした。十人に一人が地上の人間と同じだというのに気付いた。その人間は竜宮帝国の衣装を身につけている。
「まあ、一度行ってみなされ。お前さんも、いずれ竜宮が好きになるぞ」
 そう言って老人は行ってしまった。竜宮は春のように暖かく、太陽も月もないため空はずっと明るく、人々も楽しそうである。カムイシレペツは寒い時季も魔物が出そうな夜も嵐も吹雪も危険と隣り合わせの仕事もある。アシリカルの居場所はカムイシレペツだと、自身は考えていた。
 竜宮城の門は城下町の真下にあり、町の出入口同様の雌雄の竜の扉で、門前に二匹の門番であるヒラメとクラゲがいた。ヒラメは平べったくって口が曲がり、クラゲは透き通った色ガラスのような柔らかい体に十何本の触手で体を支えている。二匹とも一枚刃の矛を持っている。
「お前達、誰だ」
 クラゲがアシリカルとカントを笠のような頭から透けて見える目で訊ねた。
「女、見慣れない着物だな。さては地上の人間だな。地上への帰り方を竜宮王様に乞いにやってきたのだろう。王様は今、国務で忙しいのだ。後にしろ」
 ヒラメがきつい口調で二人に言う。
「そ、そんなに言わなくたっていいじゃない」
 ヒラメの台詞にアシリカルはカチンときた。ヒラメは見かけはのっぺりなのに、性格は意外と悪いと悟った。
「大体、地上に帰りたがっているだけなんて信用できん。帰るついでに竜宮城のお宝もいただこう、という魂胆もあるんじゃないのか?」
「わたしはそんなやましい事を考えてないわよっ!」
 ヒラメの台詞に挑発されたアシリカルは思わず甲高い声を出した。その時、情門が開いて、「何の騒ぎですか?」というさざ波のような女の人の声がした。
「あ、お妃様、ちょっとよそ者がやってきて王様に会わせろともめてまして……」
 クラゲが王妃に説明すると、お妃は二人に「入れてやりなさい」と命じた。アシリカルとカントは何とか竜宮城の中に入れて、一息ついた。門を通ると、巨大な建物である竜宮城が目に入った。雪のような白い壁、漆塗りのような黒い屋根、露台は紅い枠で囲まれ、様々な海草やサンゴが地面から生えていた。竜宮城ではカツオや太刀魚などの城下町では見られぬ魚が動き回り、そこで働く竜宮人も町人よりも立派な衣を着て働いている。アシリカルとカントを入れてやった竜宮王妃も美しかった。長い緑が混じった黒髪を結い上げ、紅と桃色の衣をまとい、髪に真珠の冠、胸元に琥珀の首飾り、腕に紅サンゴを加工した腕輪、耳に白波貝の耳飾りをつけており、瞳は明るい水色である。
「入れてくださって、ありがとうございます……」
 アシリカルは妃に礼を言った。
「それで、わたしとカントは……」
 竜宮にやってきた理由を話そうとした時、王妃は「言わずともわかる」と手を出して制した。
「地上に帰りたいのでしょう。ここから帰る方法は竜宮王しかできません。しかし……」
「王様は責務の最中で、今は無理なのですね?」
 アシリカルがそう言うと、王妃は首を振る。
「いいえ。王様実は病に臥せているのです。国民には教えていませんが、実は半年も前から何も飲まず食せず、寝たきりなのです」
「ええっ!?」
 アシリカルとカントは竜王の真実を知って驚いて声をそろえた。
「現在の国務は王子と姫たちが代わりにやってくれていますが、もし国民達に王の病が知られたら平穏に過ごせなくなって不安に陥るからです。地上に帰りたいのなら、竜王の病を治すほかありません」
「……」
 その時、一匹のフグがやってきて、王妃に伝言した。
「王妃様、王様がお呼びです」
「はい。わかりました。あなた達も来てくれますか?」
 アシリカルとカントも頷き、王様の寝室へと向かった。竜宮城の中もきらびやかで、竜が刻まれた豪華な彫りの柱、磨かれた水晶の床は純白で、角質の扉も観音開きで青い蛍石でできていた。竜宮帝国には夜がないため、灯りは必要ない。机や卓や椅子などの家具は水晶やメノウや翡翠である。
 王様の部屋に着くと、王様は天蓋付きの大人四人が寝れそうな寝台の上で横たわっていた。寝台は黒と緑が混じった孔雀石で、部屋の床は針水晶、机も椅子も窓枠も孔雀石で、敷布と掛布と枕は絹のようなさらさらとした素材で、王様は枕を頭に乗せて寝ていた。顔色は土気色でほおはこけ、目もくぼみ、青みがかった長い黒髪とひげはワカメのようである。
「この人が王様?」
「何かすごく弱っているね……」
 アシリカルとカントは竜宮王を見て、かなりひどい病気だとう事を悟った。
「たくさんの医者が診てくれたけど、どんな薬も治療法もやってみたのだけれど、治らなくて……」
 妃は目頭を押さえる。その時、一人の医者らしき竜宮人が部屋に飛びこんできた。医師は白と黒の衣をまとっていた。
「お妃さま、王様の病に効く薬が何かと突き止めました。地上の花の蜜を飲ませれば、王様は元気になれるとのことです」
「まあ……! じゃあ、それを飲めば王様は回復するのね!」
 しかし、アシリカルとカントは困った。
「でも、地上に行けるようになるには、王様の力が必要なんだろう……」
「そうだった……」
 アシリカルが頭を抱えた時、髪の毛とマタンプシの間に何か挟まっているのに気がついた。それは一枚の花びらで、弾力性のある竜宮帝国の花ではなく、柔らかい地上のものであった。
「何で花びらが……。あッ、思い出した。南国で白と橙の花びらを見つけて、二つだけ摘み取って髪に刺したんだ! きっと嵐で竜宮の花畑に落したんだ。それを拾って、蜜を飲ませれば……!」
「探しに行こう。今なら、まだある筈だよ」

 アシリカルとカントは最初に落ちてきた城下町から離れた花畑に向かい、南国の山林で見つけた二輪の花を探しに行った。それだけでなく、お妃はタラやスズキやキビナゴの捜索隊をつけてくれた。タラは二十、スズキは三十、キビナゴは五十匹という合わせて百匹の魚達はアシリカルの髪に刺していた花を探した。アシリカルの持っていた花は竜宮の花とは違って形は目立つからいい。しかし、どこに落ちているまではわからない。
「ん~、どこだろ。あれ、この花だけ、二回り大きいな……。あっ、これだ!」
 カントが白い花を見つけて叫んだ。アシリカルや捜索隊も駆けつけて見てみると、確かにこの花だった。
「ああ、見つかったんだ。でも、もうひとつの橙の花の方はどこに……」
 アシリカルがぼやいていると、先程のニシンが泳いできて、花畑の捜索隊に目をつけて泳いできた。
「やあ、やあ。こんなにたくさん集まって何をしているの? 君達、竜宮王様には会えたかい?」
 ニシンがアシリカルに声をかけてきた。
「ああ、さっきのニシンさん。ねえ、ここの花畑でこれと同じで色は橙の花を見なかった?」
 アシリカルはさっき拾った花をニシンに見せ、ニシンはそれを見て、「ああ」と言った。
「その花ね、さっきおれが見つけて拾ったんだ」
 ニシンは話を聞いて、アシリカルは顔を明るくしてニシンにせがんだ。
「ねっ、ねえ、それでどこにあるの? その花は」
「ああ、珍しいからね、売ってかなりの大金を手に入れたんだ。これで十年は遊んで暮らせるや」
 ニシンの話を聞いてアシリカルはがく然とした。その二人の姿を見て、ニシンは花の行き先を教えた。
「ああ、あの花はね、西町の『七宝亭(しっぽうてい)』という店で売ったんだ。珍しいものを買い取ってくれるからね。そんじゃあ、おれは帰るよ」
 ニシンは城下町へと戻り、アシリカルとカントはニシンの話を聞いて、西町にある『七宝亭』へと向かう事にした。今ならまだあるかもしれない。

 アシリカルとカント、そして捜索隊のタラとスズキとキビナゴ五匹は再び町に入り、今度は西門から入って。七宝亭という店を探した。西町は東にある町と違って、何かの畑や果樹園が多く、家はアシリカルの里の家と同じ大きさが多い。畑の野菜は玉菜や根菜などの地上の野菜みたいなもので、果樹園の木は金毛猿のいる山の同じ桃やレベッカの住む国と同じ柑橘系の実や丸い粒がたくさん集まった薄緑の実など見ただけでおいしそうなものばかり。ただ地上とは違う点は成長が恐ろしく早い事である。種をまけばすぐ芽が出て茎となり、根もはって木や草になり、花も咲いて実をつけるのである。稲や麦も苗から穂になるまで、わずか十分で成長するのだ。
「東は商業、西は農業、北は工業中心で、南は芸術が盛んです」
 スズキがアシリカルとカントに竜宮帝国の城下町の説明をした。西町の農業地帯で働く竜宮人は灰色や茶色などの地味な色で簡素な衣を着ている。しかしアシリカルは農業地帯の竜宮人に親近感を覚える。
「西町が農業地帯なのに、珍品を売り買いする店って珍しくない?」
 カントがスズキに訊くと、スズキは七宝亭は西町と南町の境目にある店だと教えてくれた。田畑の多い場所をくぐり抜け、一行は西町のはずれで、そこから下を見渡せばあでやかな建物や住民がいる南町の端で、その間にある店『七宝亭』に辿りついた。
七宝亭は二階建ての農家三軒分の大きさはある青い屋根に紫水晶の窓わくと扉の建物である。
 アシリカルとカントは扉を開き、店の中を見て驚く。壁にかかれた和国の墨絵の掛け軸、金色の額縁の油絵、白い女神の彫刻、つづらに入った宝は真珠や紅玉や蒼玉、翠玉や金の鎖や銀の腕輪などが入っており、アシリカルの背丈ほどもある長方形の鏡もあった。他にも豪華な道具がいろいろである。その中のカシ木材の台の上にガラスの水差しに差されたあの花があったのだ。
「あ、あった!!」
 アシリカルがその花に手を伸ばした時、奥の扉から店主らしき竜宮人が出てきた。黒いひげをたくわえ、恰幅がよく、臙脂の衣を着たその竜宮人はアシリカルが花に手を伸ばすのを見て怒鳴った。
「おい、うちの商品に手をつけるのか! 欲しいのなら、金を出せ!」
 アシリカルとカントは店主の剣幕にビビったが、すぐに手を引っ込めて謝った。
「ご、ごめんなさい。あの……、あの花は元々わたしが持っていた花で、ニシンさんが落ちていたのを拾って売ったらしくて、しかもある人の病気を治すのに必要だってわかってここに来たんです。あれを、わたしに譲ってください!」
 アシリカルは店主に懇願した。しかし店主は首を振った。
「だめだ。あれは地上の花で金貨十枚の値段だ。どうしてもって言うのなら、金貨十枚か金品を払え」
 アシリカルはお金を持っていないので口ごもる。その時、店主がアシリカルの腰に差してある刀(マキリ)を見て指さして言った。
「その刀を見せろ」
 店主がいきなり言ったので、アシリカルは疑問に思ったが、マキリを差し出した。店主はアシリカルのマキリを見て眺める。
「ほう、珍しい刀だ。こいつとなら交換してやってもいいぞ」
「えっ……」
 アシリカルとカントは口をそろえて驚いた。アシリカルの持っているマキリは三年前、父からもらったマキリである。大切なマキリを花と交換するなんて……とアシリカルは思った。
「どうした? 嫌なら他の金品とだ」
 アシリカルは考えた。マキリと花を交換して、その花で竜宮王の病を治すか、それとも竜宮王も助けられず、ずっと竜宮帝国にいるか、どちらか選べと悩んだ。しかし、決心した。
「わかりました。それと花を交換してください」
 アシリカルは竜宮王の病には代えられないと悟って決意したのだった。
「い、いいの? アシリカル、自分の刀を……」
 カントはアシリカルに言ったが、アシリカルは「いいの」と答えた。
「今は竜宮王様の方が大事だもの」

 アシリカルとカントは竜宮城に戻り、病気の竜宮王の口に花の蜜を垂らし入れた。とろりとした透明な蜜が王様の口に入ると、土気色の顔は赤みのある白い肌になり、王様は起き上がったのだ。
「ああ、ありがとう。アシリカル。王様を助けてくれて」
 王妃と王子たちも大喜びし、アシリカルとカントに礼を言った。アシリカルとカントは疲れがどっと出て、王様たちは二人を休ませる客室と食事、そしてお礼の玉手箱と竜宮帝国の出口を与えてあげた。水晶の寝台と絹のような寝具で横たわり、米飯や甘いまんじゅうや桃の汁などの豪華な食事を食べ、サンゴと光沢貝でできた玉手箱をもらい、地上に帰る事となった。
 元気になった竜宮王は城の地下へ二人を連れていき、地上へと帰る扉を開けた。門も城門のような雌雄の竜が刻まれていた。
「ありがとう、アシリカル」
「元気でね」
「父上を助けてくれた事をいつまでも忘れないよ」
 王妃や王子や姫もアシリカルを見送ってくれた。
「さようなら、みなさん」
 アシリカルとカントは扉の中へ入り、王様たちに別れを告げた。扉の中に入った二人は輝きの道を昇るように浮かびあがり、波間から勢いよく飛び出て、カントは飛行し、アシリカルと玉手箱を上手く乗せた。
 久しぶりの地上は――正しくは海上だが波間は静かに音を立て、空には瑠璃色の夜空と星々と月があった。月の形は満月になりかけていた。
「カント、もうすぐ満月が近いよ。早く北へ帰ろう」
「うん」
 アシリカルを乗せたカントは真っ直ぐ北へと前進した。
 海から浜辺、草地や森、山へとカントは飛び続け、途中でアシリカルのマキリの事を訊いた。
「アシリカル、マキリの事、お父さんとお母さんになんて言うの?」
「失くした事にするよ。海に落した、って言えば」
 暖かな風が二人の髪と羽をなでていた。