学と慎その1


学(まなぶ)と慎(しん)、生活を取り替える

「全く、何なの。この点数は。」
 お母さんは学習塾のテストの点数見て怒鳴った。算数は三十五点、国語は二十八点、英語は十六点と書かれている。
「何で毎日勉強しているのに、百点が採れないの? 学、一体何しているの?」
 また始まった……。学はお母さんのくどくど説教に疲れていた。お母さんは女学校の校長であったおじいちゃんの影響で、今はすっかり教育ママと化していた。
「これじゃあ美鈴(みすず)と同じ倉井(くらい)学園(がくえん)に行けないわよ。」
 中二の姉の美鈴は倉井学園の中等部に通っている。倉井学園は県内で最も入るのが超難関とされている学校だ。入れるのは有名私立学校に通っている子供たちぐらいだ。
お母さんは学を私立幼稚園、私立小学校に行かせたかったが、試験で失敗している。塾は週四日、土日も自宅学習という辛い毎日だ。小学四年生の学にとっては遊びたい盛りなのに。
「誰に似たのかしらホントに……。恭子(きょうこ)のような人間にはなってほしくないのに……。」
 恭子というのはお母さんの五歳下の妹で、恭子は両親から漫画家になる夢を反対されて、高校卒業と同時に家を出て、長い間音信不通となっていた。もちろん、去年におじいちゃんが亡くなった日や葬式にも恭子叔母さんは来なかった。おじいちゃんは死ぬ間際に、恭子叔母さんのことは「勘当したも同然。」と言っていた。
学は恭子叔母さんが、どんな人か知らなかった。一度も会ったことがないのだから。
「全く、土日の勉強時間、五時間から六時間に増やすわ。」
「やだ……。」
 学はボソッと言った。
「遊びの時間がなくなっちゃう……。」
 するとお母さんが、バンッとテーブルを叩いた。
「甘えるんじゃありません! 今ここで挫折したら、一流大学、一流企業に行けないわよ! お父さんみたいな二流大卒業で中小企業の万年平社員にはなってほしくないの……。」
 お母さんはまた小言を言い始めた。

「慎、また勉強していたわね。」
 慎のママが仁王立ちして、慎の前にいた。
「だって、予習復習しないと勉強についていけなくなるし……。」
「何言ってるのよ。勉強するな、ってあれほど言ったじゃない! 勉強なんてつまらないし、めんどくさいし、もっと遊んでおけばよかった、って思うようになるじゃない!」
 慎のママはやたらと勉強が大嫌いであった。と、いうより憎んでいた。子供は勉強より遊ばせるほうがモットーだというのがママの教育方法であった。
「もしまた宿題以外の勉強をしたら、小遣い無しだからね。」
「えーっ、普通なら勉強しなかったら、なのに?!」
「もうそれは古いっ。とにかくもう絶対に勉強しないでよ。」
 そういうとママはバタンとドアを閉めて、台所へ行った。
 慎は勉強が好きであった。勉強をしておけば、大人になったいざという時に困らないからだ。なのに、どうしてママはあんなに勉強が大嫌いなのか……。パパもママの言いなりになっているため、相手にならなかった。
「勉強したいなぁ……。」
 慎はため息をついた。

 学校での次の日の昼休み、二人は渡り廊下を歩いているところで出会った。
「あーあ、勉強したいなぁ。」
「あーあ、遊びたいなぁ。」
 二人とも言った言葉が同時だった。
「あれ?」
「ん?」
「君、今、遊びたい、って言った?」
 慎が学にたずねた。
「そ、そういう君こそ、勉強したいなぁ、って言わなかったか?」
 学が慎に聞き返した。
「もしかして君、二組の後藤学くん?」
「そういう君こそ、一組の前川慎じゃないか。」
 二人は指差しあって言った。二人はクラスこそは違うが、互いのことは知っていた。
 慎は去年、今の四方(しほう)道(どう)小に転校してきた。二学期の始業式の体育館の舞台上で、学校のみんなにあいさつをした。慎を見て、同じクラスだった松木くんが学にこう言ったのを今でも覚えている。
「なあ、学。転校生、お前に少し似ていないか?」
 確かに言われた通り、慎と自分は似ているというより、よく見るとそっくりだった。卵型の顔型や大きな目や小高い鼻、色白の肌といった顔立ちと身長と背格好、どれも学と同じだった。ただ一つ違っていたのは、学が九月生まれで、慎が十一月生まれぐらいなことだった。それから学は地味な色のえりシャツや木綿パンツという着たきりのような服装に対し、慎はパーカージャケットや明るい色や柄のネルシャツ、迷彩柄のパンツやジーンズといった服をよく着ていることだった
 女子に話しかけられたとき、慎と間違えられたこともある。それほど学と慎はそっくりだったのだ。
「へー。君のお母さんって勉強が嫌いなのかよ。」
「うん、だからこっそりクローゼットの中で懐中電灯をつけてするしかないんだよ……。」
「うちは全くの反対。勉強しろ、勉強しろ、ってうるさいんだ。塾にも行かされているしさ。慎のお母さんがうらやましいぜ。あーあ、母親交換したいよ。」
 学がそうつぶやいたとき、慎が言った。
「ねえ、だったらさ、ママは無理でもぼくたちが交換すればいいんじゃない?」
「え、何それ?」
「つまり、ぼくが学くんちの子になって、学くんがぼくの家に行くって方法だよ。」
 慎の案に学はしばらく考えていたが、すぐに答えを出した。
「いくら似ていてもばれないかな?」
「大丈夫だよ、何もかも同じなんだから。」
「それもそうだな。」
「じゃあ、放課後裏庭でね。」
 そう言うと慎は自分の教室に帰っていった。

 放課後、学は慎のいる裏庭にやって来た。誰もいない裏庭には、慎しかおらず、空も薄い灰色に覆われていたけど、雨の降る心配はなさそうだった。
「待ってたよ。」
「うん。」
「取り替えるのは服とランドセルの中身だけ。自分の教室に行くのはいつも通りだよ。」
 慎と学は互いの服とランドセルの中身を交換し合った。幸い服のサイズも、靴のサイズも二人とも同じだった。ランドセルの中身も入れ替え、学は慎に、慎は学となった。
「ぼくんちは二丁目の五番地にあるスカイマンションの五〇五号室。両親のことはお父さん、お母さん。あとお姉ちゃんは美鈴って名前だからね。」
「うん、わかった。ぼくはパパとママと呼んでる。家はレジデンスいつくしが丘の三階の三一五号室。それじゃあね。」
 こうして慎は学の家へ、学は慎の家へと帰っていった。