学と慎その2

 

取り替えた生活

 慎の家は丘の上にある住宅アパート「レジデンスいつくしが丘」で白いプレハブで出来た三階建てマンションだった。レジデンスの周りは、おしゃれな洋風の家が並ぶ住宅地である。
「確か、三一五号室だったな……。」
 学は階段を上がり、三一五号室の「前川」の表札を探した。エレベーターもあるが、エレベーターは荷物運搬、身体不自由者、幼い子連れの住人専用だったので、階段を上がった。
「えーと、カギカギ……。」
 学はポケットの中に入れてあったカギを探した。慎の母親は隣町で働いていて、家にはいつもカギがかかっていた。十字架のキーホルダーがついたカギをノブに差し込むと、ギィッとドアが開いた。
「ただいまー。」と、言っても家にはだれもいない。玄関に上がると、すぐ右手前が慎の部屋だった。
「ここが慎の部屋かー。」
 学は慎の部屋のドアを開けた。部屋の中は机とベッドと本棚とクローゼットがあった。学はドサッと机の近くにランドセルを置き、本棚を見てみた。本棚には、たくさんのマンガの雑誌やコミックスや少年小説が置いてあった。
「おっ、今月の月刊コミックランブルじゃんか! まだ読んでない!」
 学はさっそく雑誌を読みあさった。それからコミックスや小説も読んだ。学はマンガを買ってもらえなかった。お母さんが、「勉強の邪魔になるから。」と読ませてくれないのだ。
「今日から塾行かなくていいんだ~。あー、うれし。」
 マンガを読み続けているうちに、あっという間に日が暮れた。時計を見ると、もう六時になっていた。普通なら水曜日以外の週四日は夕方五時の駅前学習塾に行くことになっている。しかし、今は慎なのだからいいのだ。
「ただいまー。」
と、玄関から声がした。慎のママだ。慎のママはウェーブヘアの髪を明るい茶色に染めており、服装も若い人が着るようなラフファッションをしていた。
「あ……、お帰り、ママ……。」
 学は何とか慎になりきって、慎のママに返事した。するとママは形相を変えて、慎の学に聞いた。
「慎、今日は何していた?」
 学はママの剣幕にビビッたが、すぐ答えた。
「ま、マンガを読んでいたよ。ほ、ホントだよ。勉強なんかしていないって。」
 学は慎になりきって、本当のことを言った。信じてくれるだろうか……。
 すると、ママの顔つきが変わった。
「そう、それは良かったわ。」
 ママはとびきりの笑顔になった。
「じゃ、今日は慎の食べたいもの作ってあげるわ。何がいい?」
「え、え~と、鶏の唐揚げ。」
 唐揚げは学の大好物であった。料理が出来上がると、学はぱくついた。
「うわ~、おいしいー。」
「今日の慎はいい子ね。のびのび育ってほしいのよ。勉強したくないのに勉強をさせられている子供はとてもかわいそうだもの。」
 そう言うとママは慎(になっている学)に話した。
「ママの子供の頃なんか、遊びたかったのにおじいちゃんとおばあちゃんが許してくれなくて……。ママは決めたの。『自分の子供には勉強なんか押し付けないで、遊びまくらせよう』って。」
 慎のママの気持ちを聞くと、学は今の自分に似ていると思った。
(慎のお母さんは子どもの時に遊びたくても遊べなかったんだ……。今のぼくに似ている……。)
 ママの話を聞くと、学はご飯を食べる速度が遅くなった。
(慎のお母さんの子どもの頃って、遊びたくても遊べなかったんだな……。そういう大人の人って、自分の子どもに親と同じ生き方をさせたくないって願いが強いのかもしれない。)
「ごちそうさま。」
 学はご飯を食べ終えると、自分の部屋に戻った。ママは食器を片付けて洗おうとしたとき、お椀の中にシイタケが残っていることに気がついた。
(慎、今日はシイタケを残したのね。いつもは食べていたのに。)
 学はシイタケが嫌いであった。でもママはそんなことを気にしないで、お皿を洗った。

 さて、慎はというと、学の家に着いた。学のマンションの近くは空き地やマンションより小さな家の並ぶ住宅街である。学の家ではお母さんは昼間は税理事務所で働いている。夕方になるまでは帰ってこない。慎は十階建てのスカイマンションに行き、学から渡されたカギを五〇五号室のドアにさして、中に入った。
「ただいま~。」
 学になりすましているのは難しかった。一ヶ月だけ生活を取り替えることにしたのでもしばれたら、二人の親から面食らうこともあるだろう。
 慎はソロ~ッと家の中に入り、台所へと進んでいった。台所にはお母さんの書置きがテーブルに置かれていた。
「冷蔵庫にメロンがあります。四時半までに宿題をすること。五時から塾に行って、塾が終わる七時に迎えに来ます……か。ホントに学くんのママって厳しいなあ。」
 慎は書置きを読み終えると、冷蔵庫からメロンを取り出して食べ、食べ終えるとダイニングキッチンの隣の学の部屋へと行った。学の部屋は玄関の右隣にあった。部屋の中を見てみると、机とベッドと本棚、本棚には参考書やら問題集がビッシリ置いてあった。マガ本は一冊もない。
「すごいなぁ。学くんがあんなに遊びたいがやっと理由がわかったよ。」
 そうつぶやくと慎は、ランドセルから、宿題を取り出し、早速取り組んだ。
 学になりすました慎は、あっという間に宿題を終えて、四時半までに今日学校でやった国語と社会の復習をし、今日やった部分を読み返した。
 復習はすぐに終わった。慎は塾へ行く支度をした。紺色のナップザックが塾用のカバンということは学から聞いていた。塾は月曜日がそろばん塾、火曜日が英語塾、木曜日が国語、金曜日が算数の日であった。今日は木曜日なので、国語の日だ。ナップザックを背負って塾に行こうとすると、玄関から「ただいまー。」という声がした。
 ドアからのぞいてみると、白襟にエンジ色のセーラー服を着た慎より大きい女の子が家に帰ってきた。背中まである長い髪を二束の三つ編みにしている。
(あの人が学くんのお姉さんの美鈴って人か……。)
 慎は塾に行く支度をすると、学になりすまして美鈴に言った。
「お姉ちゃん、お帰りなさい。ぼく、これから塾行ってくるね」
「あら、今日はやけに素直なのね。いつもは『行きたくないけど行ってくる』って言ってたのに……。」
「きゅ、急に好きになったの! じゃ、行ってきます!」
 慎は急いで家を飛び出し、駅前にある塾〈花丸塾〉に行った。花丸塾は駅の向かい側のビルに建っており、四階と五階を使っている。塾に着くと、みんな座っていた。だれも慎が知らない顔ぶれである。
(しまった。塾の同級生たちのことも教えてもらうんだった。)
 そう思ったが、その必要はなかった。すぐに授業が始まり、先生が入ってきたからだ。
「授業を始めます。」
 みんなノートと塾指定の教科書を開き、授業を始めた。先生が新しい漢字を書いてはみんな写していった。先生に指名されたとき、慎は迷うことなくスラスラと漢字を読んだ。
「よし、その通りだ。しかし、後藤。前は指されても答えられなかったのに……。」
「ちょ、ちょうど今日、学校で同じ漢字が出たんです……。」
 慎にはこれしか答えようがなかった。でも、先生は疑うことなく、
「そうか、ちゃんと覚えていてえらいぞ。」と、言った。先生は機嫌が良かった。塾の終わる時間はすでに薄暗くなっているが夏の始まりである六月現在は、そんなに暗くなかった。塾の前で待っていると、学のお母さんが迎えに来た。
「学。」
 学と呼ばれてドキッとしたが、すぐに学になりすまして、返事した。
「あ、お、お母さん。ただいま。」
「今日はちゃんと答えられた? 先生に迷惑かけなかった?」
「え、えーと何のこと?」
「だって、この間、先生に『体の具合が悪いので早退します』って言ったでしょ。そしたらハンバーガーショップでさぼっていた、って同じ塾の子が言っていたのよ。その前はゲームセンターにいて。またさぼるんじゃないかと、心配で心配で……。」
「今日はちゃんと……、勉強したよ……。」
「そう、なら良かったわ。じゃ、帰りましょ」
 学になりすました慎は、学のお母さんと一緒に家へ帰っていった。もし、入れ替わっていることがばれたら、学のお母さんは悲しむか怒るんじゃないかと、慎は思った。
 家に着くと、ママが早速ご飯を作った。後藤家ではご飯を食べるのが遅いらしい。やっとできた頃には、もう八時を過ぎていた。ご飯はアジの塩焼き、ほうれん草とシラスのおひたし、ひじきこんにゃく、ネギと油揚げの味噌汁だった。
 ご飯を食べている間は、お母さんも美鈴もおしゃべりすることなく、もくもくと食べているだけだった。
(会話、ないのかな……。)
 慎の家ではママとパパにいろんなことを話すのに。学の家ではどうも、家族団らんがないらしい。
(つまんないな……。)
 そう思いながら、慎はおひたしに手をつけた。その時、お母さんが言った。
「あら、学。シラスつけたまま食べるの? あんた、シラスが嫌いじゃなかったの?」
 そう言われて、慎はハッとした。慎はシラスは好きではないが食べられる方で、学がシラス嫌いなのを知らなかった。
「え、えーと、学校で密かにシラスを食べる練習をしてたんだよ!」
 慎はあわててごまかした。するとお母さんはにっこり笑った。
「そうだったの。偉いわ。嫌いなものを食べれるようになったのね、偉いわ。」
 お母さんは慎の言ったことを信じ、ご飯を食べ続けた。
(学くん、シラス嫌いだったんだ。こんなことなら、何が好きで、何を食べないか聞いておけばよかったな~。) そう思いながら、慎はご飯を食べ続けた。