エターニティア・その4

 

 4.犬の国と猿の国の戦争

 ラセッタとインレットがリーゼレイン村を出てから一時間もすると、緑の草が生い茂る草原の中に赤や紫や白の花が咲き乱れるパッツィ村への道がありました。道は通行者が花を踏みつけないようにするための白い大理石が敷かれていました。花畑には大小様々な蝶やミツバチ、スズメガなどが花にとまって蜜を吸っていたり、花粉を集めています。
 インレットは花畑を見て、その美しさと海では見られない景色に感激していました。
「白い道の周りに赤や紫の花が咲いていて、空の緑といい色合いで素敵な光景! それにこの白いツツジやケシがヒトデやツメタガイに似ているわ!」
 さっきまでは青と銀の尾ひれを持つ人魚だったインレットはラセッタと同じように二本の脚で花畑の道を歩いていました。インレットのお供動物のイトマキエイのラップはインレットの背中にはりついたままでした。
「ねぇ、インレットがいた村ってどんなとこだったの? 海ってどんな場所なの?」
 ラセッタが軽い足取りで歩くインレットに尋ねてきました。ファムコーンは陸地の妖精なので海に行くことはあまりありません。というのも海は塩の強い水ばかりで砂や湿気の多い海辺の土では作物が成らないのです。そのためファムコーンは森や草原、真水の川辺で暮らすのが常でした。
「わたしは南の方にあるバブリェック村の生まれでね、ラセッタと適齢期を迎えたのは一ヶ月半も前なの。バブリェック村は海の中の岩礁に家を造って人魚やセイレーンのような海妖精が住んでいるの。イルカやアシカやマンタと一緒に暮らす家もあるけどね。
 海の中は常に明るい青でね、夜は暗いけどマリンスノーやサンゴの産卵が見られるの」
 インレットはラセッタに自分のような海妖精の住む生活や環境を教えました。
「海ねぇ……。海にはサメやシャチ、ウミボウズとかのような危ない生き物もいるんでしょ?」
 ラセッタが尋ねてきました。以前海辺の国へ行ったことのあるウィーニル村の妖精から海は海妖精の他、真珠やサンゴといった海の宝物(ほうもつ)や貝や海老やタコやイカといった海の幸といった良いものばかりだけでなく、のこぎりのような刃を持つサメやイルカを凶暴にしたようなシャチ、船乗りを襲うウミボウズという妖怪のことを聞かされていました。
「でも海妖精はシャチやサメ、ウミボウズから実を守るためのまじないも持っているから大丈夫よ」
 インレットがそう答えてくれたのでラセッタは安心しました。パッツィ村への道は白いツツジやケシの花、三色スミレやヒナギクやライラック、ノアザミやアネモネが咲き乱れており、周囲を芳せていました。
 歩き続けて二時間ばかりたった頃、あと五〇〇メートルでパッツィ村へ着くところ、ラセッタとインレットは村への道が棒木で出来た柵で塞がれているのを目にしました。柵にはこげ茶色の木板がかけられており、白いペンキでこう書かれていました。
『パッツィ村は村長を新しく決めているので現在他者への受け入れはしておりません。
 道を急ぐ方は戻るか野原を抜けてください』
「ええっ、そんなぁ」
「村長決めとはいえ、入れないなんて……」
 ラセッタとインレットはパッツィ村が村の事情で入れないことに肩を落としました。花畑を出て数十歩先へ出れば、野原です。野原にはポプラやナラやスモモや野ブドウの木がいくつか生え、実もつけています。
「仕方がないや。野原の方へ行って、近くの村か民家を見つけたらそこに泊めてもらおう」
 ラセッタはそう決めると、大理石の道を出て花畑の中に入っていきました。花を踏みつけないようにちょこちょこと花の咲いていない処を歩く他にはありませんでした。ハックルは体の小さいハリネズミだったため、花畑を抜けるのはたやすいことでした。
 ハックルが花畑を十分足らずで抜けたのに対し、ラセッタとインレットはその二、三倍もかかりました。折角咲いた花を踏んではなるまいと必死でしたから。
「これで堂々と歩けるよ」
 ラセッタは野原に足を踏み入れると、安心しました。インレットも乾いた土と雑草と石ころだらけの野原に入るとスカートについた花粉を払いよけました。ラセッタとインレットは再び踏みそうな花のない野原を歩き出しました。
 涼やかな西風が吹いてラセッタの髪の毛とマントがなびき、インレットの服の裾も翻りました。草も揺れ、木の枝も細いものなら動き、青い羽毛の瑠璃色ガラや赤縞ムクドリも枝の上でさえずったり、飛んでいました。
 一見穏やかで何の変哲もない野原でしたが、太陽は次第に西へ傾き、空も下の方がうっすらと赤みをさしています。
「ちょっと一休みしようか」
 ラセッタはインレットに言いました。お腹も少し空いていたので、近くにある野ブドウの樹にとまり、野ブドウにはたくさんついた赤い実が成っており、何房もあります。二人は一房ずつもいでブドウを食べました。熟れるのがまだ早かったのか少し酸っぱかったけれど、今日のおやつに最適でした。
「おいっ、そこのお前ら! 何をやっている!」
 ラセッタとインレットが野ブドウを食べていると、見知らぬ男の声がしたのでインレットは驚きのあまりブドウを一粒口からこぼしてしまい、落としたブドウは転がって誰かの足元に当たりました。インレットが顔を見上げると、ラセッタとインレットに怒鳴ってきたのは三匹の犬でした。犬といっても四本足で歩く犬ではなく、妖精のように二本足で立ち、その上服を着ていました。一匹は折れた耳の赤茶の犬、白くて垂れた耳の犬は大きくラセッタよりも大きな体つきで、立った三角耳と目の周りが黒くて頭の下半分が白い毛の犬は赤茶の犬よりも少し小さめでした。三匹の犬の共通は黒いボタンのベージュの三角襟のついた軍服と軍帽ぐらいでした。
「おい、ここはハウルヘムの陣地だぞ。誰の許可もなく勝手に足を踏む入れるとは何事だ!」
 赤茶の犬が二人の妖精に言いました。
「ハウル……ヘム?」
 インレットが何のことやらと言うように呟きました。
「とぼけるな。さてはお前ら、エイパロトンドのスパイだな。こいつらをひっ捕らえろ」
 赤茶の犬の号令で大きな白犬がラセッタとインレットを捕まえようとしてきました。
「ちょ、ちょっと待ってよ。わたしはウィーニル村の生まれだし、インレットはバブリェック村の生まれで、陸地のことはあんまり知らないんだよ? エイパロトンドのことなんて」
 ラセッタが犬たちに言いましたが、誰もラセッタの言い分を聞かずラセッタとインレット、お供動物のハックルとラップも捕まってしまい、ラセッタとインレットは白犬にかつがれてしまい、彼らの上官のいる処へ連れて行かれました。
「離して、離してよ!」
 ラセッタとインレットは抵抗しましたが、犬たちは聞き入れることはありませんでした。

 ハウルヘム国軍隊の集合地は野ブドウのある野原から六、七〇〇メートルも離れた荒れ地で周囲は岩、地面は雑草と石ころだけでその真ん中にベージュの四角いテントが十も二十も張られていて、白黒ぶちやごま塩模様、毛長垂れ耳や胴長に三角耳の犬の兵隊が留まっていました。ラセッタとインレットは両手首を麻縄で後ろに回されて縛られ、ハックルとラップは鉄の黒い鳥かごに入れられていました。
「元帥、エイパロトンドのスパイと思われる者を捕らえてきました」
 大白犬はラセッタとインレットを一番大きいテントにいる元帥に見せました。テントは木材と金属で出来た通信機やスピーカー、医療品や食糧の木箱がいくつかあります。元帥は三角耳に黒い毛と黄色い毛のシェパードで、裾の長い軍服に胸には金や銀の勲章、左腕には星が五つ並んだ証の赤と緑の腕章が巻かれていました。
「お前たちか、我がハウルヘムと対決しているエイパロトンドのスパイというのは。さっき部下から連絡が届いたとの情報が入ってな」
 ハウルヘムの元帥が凛々しくもきつい目でラセッタとインレットを見つめました。
「本当に知らないよ! エイパロトンドのことなんて。だってわたしとインレットはここに連れてこられるまで、犬の国と猿の国の戦争を知ったばかりなんだもの」
 ラセッタは元帥に自分はエイパロトンドのスパイでないと述べました。
「誰だってみんなそうではないと言うのだ。今から四日前に我々の兵糧であるビーフジャーキーの小袋半ダース、ソーセージ二〇〇グラムが十三本、ハムの塊一キログラム、そしてカラス麦パンが一〇個も盗まれたのだ。お前たちは猿どもの命令で我々の食糧を盗んだのだろう!」
 元帥は食糧を盗んだのはラセッタとインレットで、エイパロトンドの猿に言われて盗んだのだろうと疑ったのです。
「ひ、ひどい! わたしやラセッタは平気で相手の食糧を盗んだりしないのに……」
 インレットが元帥の気迫のあまり泣き出してしまいました。その時でした。インレットの両の眼から出て零れ落ちた涙が地面を濡らしてそこから水たまりが出来て、その水たまりは次第に広がり、犬たちのひざに入るまでの深さになっていきました。
「い、いかん! 通信機が水にぬれたりしたら、壊れて使えなくなってしまう! テーブルの上に置くんだ!」
 元帥はインレットの涙が水たまりになって、しかも泣いているのが長いがいほど、深さが増すことに驚き、部下の犬たちは足を濡らしながらも通信機やマイクといった機械を折りたたみ式の机の上に置きました。
「わ、わかった! わかったからもう泣くな! お前らがスパイでないことはよくわかった!」
 元帥はインレットにそう言うと、インレットは泣くのをやめました。もし泣き続けていたら、隣のラセッタも溺れていたに違いありません。ラセッタの服もマントも靴も濡れてしまい、二人の腰まで水がたまっていたため、インレットの脚は白銀と青い鱗に覆われた人魚の尾ひれに戻っていました。
「お前は人魚か。思い出したぞ。四日前、食糧が盗まれた時、
晴れの日だった。そしてまだ柔らかい砂の上に食糧を置いたために足あとは消えていたが、残っていた匂いが全く違っていた。猿には潮の匂いがしない。
 疑ってすまなかった。縄を解いてやれ」
 元帥は部下たちにインレットとラセッタの手首の縄をほどき、ラセッタはようやく解放されたことに安堵しました。
「やっとわかってくれたか……。それにしても、インレットって泣いたらすごいのね」
 インレットが泣き出すと水たまりが出来て、その水たまりがだんだん広がる能力を見たラセッタは感心しました。

 犬の兵士たちは桶を持ってインレットが流した涙をテントから出して、テントの水はけをしました。それから濡れてしまったラセッタや兵士たちの服を乾かすため、野営地の中心でたき火を起こし、服を乾かしました。インレットの尾ひれは鱗に覆われた姿から青い靴をはいた二本の脚に変化しました。更に夜更けに入り、群青色の空には金や銀の粉のような星が瞬き、月が輝いています。ラセッタとインレットはハウルヘムの兵団でスパイ扱いされたお詫びとして一泊させてもらったのです。ラセッタとインレットの泊まるテントは医療用テントで、折りたたみ式の木のベッドが十二あり、その二つにラセッタとインレット、もう一つに看護婦として派遣されたハウルヘムの娘、ココティーヌもいました。
 ココティーヌは白い長い毛に覆われ黒い目に細長い顔と尾を持つ垂れ耳の娘で、白い長方形の帽子に白いエプロンと薄青いシンプルなドレスをまとい、帽子と腕章には赤い十字が入っていました。ベッドの他には折りたたんだ予備のシーツや枕カバーや毛布が木箱の中に入っており、他にも包帯やガーゼの入った箱、消毒液の入ったビン、丸い錠剤やカプセル薬の入ったビンが小さなブリキの箱に入っています。ベッドはわらを詰めた敷き布団と枕、毛布だけの簡素なものでしたが、ラセッタとインレットは気持ちよく寝れました。外では兵士たちが三、四名ごとに交替で見張っていました。
 インレットとラップはすっかり眠っており、ラセッタは布団に入っているものの、まだ眠りに入っていませんでした。
「ラセッタさん、まだ起きてらっしゃったんですか?」
 左右に並べられたベッドの入口から見て左の三台のベッドの奥にインレット、その隣にラセッタ、入口近くにココティーヌが寝ており、ココティーヌは横になったラセッタの衣擦れの音が聞こえたので、ラセッタに尋ねてきました。
「うん、まあ……。でもわたしたちは知らなかったとはいえ、何故犬の国と猿の国が戦争なんかを?」
 ラセッタは犬の国と猿の国が戦争なんかしているのか疑問に思い、ココティーヌに尋ねてきたのです。ココティーヌは猿たちは自分たち犬よりも優れていて強いことを語ってきました。
「猿は犬と違って知能が高くて身軽で、木の上や岩の上に登ることが出来ます。一方わたしたち犬は嗅覚が猿よりも千倍に優れていますが、地を駆けるのが精一杯です。
 猿の国エイパロトンドの住民が増えすぎたため、猿たちは公有地である果物や種子類、山菜やキノコがいくつも採れる森と新鮮な魚と水の多い湖を狙って、エイパロトンドの所有にしようとしてきたのです。
 森と湖のある公有地は猿だけだなく、わたしたち犬やラセッタさんたちのような妖精、他の生き物が自由に足を入れることが出来ますが、エイパロトンドの所有地になれば、猿たちしか使えません。
 公有地をエイパロトンド領にさせないためにわたしたちハウルヘムとエイパロトンドの戦争が起こりました」
 ココティーヌは更に続けました。
「猿たちは地上だけでなく木の上や岩壁からも攻めてくるので、わたしたち犬は押されています。つまり猿たちの賢さと身軽さとのぼれる能力ゆえに猿の方が強いのです」
 ラセッタはそれを聞いて犬たちがかわいそうになり、また猿たちにも公有地である森や湖を独占させないために、犬や他の国と戦争しなくても解決できれば……と思いました。